音ゲー座学に目覚めたきっかけを振り返りながら自分史を書いてみる(2011年3月頃~2013年4月頃)

あけましておめでとうございます。

 

今年もマイペースにゲームを楽しんでいこうと思いますが、去年や一昨年を振り返ってみると、忙しかったとはいえもう少し音ゲー関連の話を記事や動画で発信できたらなと思うことがありました。

 

そこでまた何か雑談的なものを書こうと思い、過去の自分の音ゲーを振り返りつつ自分史をまた書いてみようと思います。

年数が経つにつれ忘れていきそうなので今のうちに!です。

 

時間ない方は最後のまとめだけでも一読いただけたら幸いです^^

 

今回は

・DP十段取得から座学に本格的に目覚めるまで(2011年3月頃~2013年4月頃)

をテーマに書いてみようと思います。

 

DP始めてから十段取得までは以下の記事をご参照ください。

silent.hatenadiary.com

 

①DP十段~DP皆伝取得(2011年3月頃~2013年6月上旬)

DP十段合格して大学生活スタートと共にDP皆伝を目標にしてました。

小タイトルの期間の通り、予想よりかなり早く合格することができたのですが、これは以下の前提がある為です。

・高校2年でサイレントEXクリアの為の対策経験あり

・高校3年でSP皆伝取得済

・大学生生活スタートなので時間たっぷり

 

この通り、既に結構なやり込み具合で音ゲーを嗜んでいました。

 

1つ目のポップンでの対策経験がある意味この記事では一番重要で、後述するDP座学はポップンで餡蜜研究してた経験から受け継がれたものであり、その時に観た某氏のトイコンFC、サイレントFC動画で衝撃を受けたのが全ての始まりだと思ってます。

詳細を語ると長いですが、「餡蜜はトリルだけじゃない」「餡蜜は8分だけじゃない」この2つを高校時代の頃から脳裏に焼き付けられたのが今の自分に繋がっいるのではないかと思ってます。

 

高校の時のエピソードはこれくらいにして、ここからは大学生音ゲーマーのお話。

滅茶苦茶DPに没頭してた期間でもあり、大学生活以外はほぼビートマニア、家ではニコニコ動画で上手い人のプレイを沢山観てたりしてました。

なんなら体育の試験の時に通学中に1クレだけやって遅刻ギリギリになったり、昼休みの後の1コマ分の授業が無しになったのでその時間はゲーセンに行ったりと、モチベーションの塊でした笑

 

皆伝の為の練習メニューは自分の過去の皆伝攻略記事を参照していただければなのですが、ひたすらDBR☆8~9とDP旧12.1~3両乱(今基準だと12.2~5あたり?)を永遠に反復してましたし、DBRについてはエキスパートモードで適正外の難易度を5曲ぶっ通しでプレイするのを繰り返してました。

 

これを4月~5月上旬くらいまでずーーーっとほぼ毎日やってたわけです。ゲーセン帰りは毎回指がズキンズキン、今だったら休憩必須くらいまでに追い込んでました(若いっていい・・・)。

当時は今以上に情弱だったのか、プロテイン代わりに自販機のミルクティーを飲んでました(成分をちゃんと見ろー!!)。

 

5月中旬になると皆伝1曲目の蠍火が抜けられるようになったのですが、バドマニが認識難すぎてお話にならない状態。

256を中5で取る等、3つ押しの認識力が足りてないのと、高密度の負荷が少ないことを痛感。

 

そこでラブシャインやクロスロードや罠みたいな同時押しのDBRを適正外関わらずガンガン特攻。DPもアルマゲやクエルや冥とかも特攻。アルマゲとかbp250くらい出てました笑

 

ついでに運指の強化で祈りDBRMノックをしてた。渋谷にあった硬鍵盤のゲーセンでオリジナルコース祈り4連を5クレ連続でやったりしてた。意味あったかは不明だけど、楽しくて日課にしてた。腕も指先も周りからの視線も痛い。

 

そんなこんなで練習量と高難易度特攻の暴力で6月入る頃にはバドマニもギリギリ抜けられるようになって、穴クエはもともと押せる気皆無なので段位用の簡易餡蜜を覚えてbp120くらいに仕上げてたので段位だと確かクエは3度目くらいで抜けられた。

 

合格した感触は今でも覚えてる。

今や人数は増えたけど、当時は全然いなかったDP皆伝。

プレイヤー画面に金文字の皆伝が両方並ぶあの瞬間。

自分もやり込みプレイヤーの仲間入りができたと確信したあの喜び。

合格した日は結構な時間放心していて、音ゲー全くやらない友達に喜びのメールを送るとかいう意味不明な行為もしてたりと笑

 

確か日付は2011年6月9日(日にちまでは自信ない)で場所は今は無き新宿パセオ

新宿タイステ(通称ゴエフ)の近くにあった地下のゲーセンです。

 

ちなみに自分が大学入った時の音ゲープランは2年で皆伝、大学卒業までに穴クエハードでしたが、モチベーションとやり込み量が凄まじくて予想以上のハイペースな成長ぶりでした。

 

②DP皆伝~クエルDPAノマゲ(2011年6月頃~2012年1月頃)

DP皆伝受かったウハウハ気分も束の間、次ゲーセン行った時はすぐさまクリアランプ更新狙いをしてました。

 

旧12.4(今の12.6)はクリア者も当時は全然いなく、クリアすれば人外級と言われ、wikiコメントの神格化っぷりも読んでてワクワクしてました笑

 

ひらすらやってひらすらランプ更新した記憶しかないので練習の詳細やクリアの順番はあまり覚えてないですが、とにかくガンガン特攻してました。

 

12.6は卑弥呼ハデスネメシスが最初らへんにイージー点いて、その後にメンデスとかバドマニとか中堅所が埋まって、7月頃に突然アルマゲイージー出て素で声が出たり・・・穴クエが最後まで残ってたからこのころから苦手意識は強かったようです。

 

ハードも色々特攻しまくって、稲妻、少年A、スクスカ、4天あたりは何故か通常フリーで何回もトライしてお金を無駄にしたりしてました。流石に高難易度のハード埋めた順番は完全に忘れましたが、少なくとも言えるのが☆11や☆12弱はほぼやってなかったと思います。

余談ですが自分がDPで人生初のAAAはearth-like planetで、それ以降スコア狙いをするまでマジで1曲も出てなかったと思います。

というかearth-like planet復活して神曲すぎるんよ;;;

 

秋くらいにLINCLEがスタートして、この時期になるとそろそろ旧12.4(12.6)が埋まらなくなってきて、ハードも中々更新がなくなってきた。

その頃にCSから移植されたテレポがこれがもう当時は絶望的で、冗談抜きで全曲クリアの最大の壁でした。初日は終盤の20秒間がずっと2%安定。

当時は旧12.4と評されてたので、今でいうと12.6扱いされてる譜面でした。文句なしの12.7ですよ汗

 

そんなこんなでPPクエテレポあたりのクリア狙いを繰り返しても中々上手くいかず、やっと出た成果がクエ超当たり譜面で発狂で初めてゲージ残してイージーとかでした。

 

ここまでは普通に地力上げして普通にクリア埋めしていく標準的なクリア狙いといった感じでしたが、

いよいよここから自分の音ゲー人生が少しずつ壊れ始めてきます。

 

昔から変わらない性格ですが、特攻癖が人一倍強くて、

特に最難関曲は適正外でも特攻したがる性格でした。

最難関こそ正義!って考えは昔も今も1ミリも変わってません笑

 

当時の最難関と言われた譜面と言えばやはりクエルDPA

PPテレポが点滅なのにクエルを日頃からおふざけ特攻していたわけですが、回数重ねてくうちにクエルが何故か一番ゲージが残るようになってきて、最難関と言われてる割には案外ゲームになっている手応えで不思議な感覚でした。

 

そこで、まさかねと思いながらダメ元で最後の難所を研究してみました。

するとある日突然・・・

 

~82% EASY CLEAR~

 

・・・は?

それなりに対策はしたけどまさか本当にできるとは1ミリも思ってなかったので、クリアした時はゲーセンで結構な時間唖然として震えてました。

 

当時のクエルDPA、イージーでも達成人数は1桁でクリアするだけでほぼトップランカーみたいな扱い(諸説あり)。

それをテレポやPPでボコボコにされた自分が対策したところでクリアなんて無理だと思ってたので、曲が終わってゲージが赤かった時は嬉しさというよりかは違和感の方が凄く、画面がバグってるんじゃないかと目を疑ったりして一瞬気持ち悪くなった記憶があります。

その一瞬の後に体が勝手に動いて嬉しさを全面に表してまじかー!ってなったもの覚えてます。

 

この頃まで自分は譜面研究はポップンのトイコンやサイレントの研究くらいで、DPに関してはクエの段位用餡蜜くらいでしたが、クエルを倒したことでもしかしたら適正あるのでは?と思い始めました。

 

イージーした日にすぐさま帰宅して、頑張ればノマゲもいけると思い研究を進めてました。数日後に問題なくノマゲクリア。ハードは流石に地力足りなさすぎるけど、ノマゲは割と再現性があって、動画にもできた。

 

その動画が自分史上初の弐寺DP動画です。

www.nicovideo.jp

 

自分のプレイ動画を世に出すのは初めてなので、コメント更新されたときに謎の緊張感があったもの覚えてます。

何しろこの頃はSNSの使い方も知らず、音ゲー友達は高校や大学で偶々音ゲーやってた人くらいで、音ゲー界隈がどんなのかも知らない状態でした。

確か上手いとか言われて結構喜んでた記憶笑

 

③クエルDPAノマゲ~冥DPA EXH(2012年1月頃~2012年4月頃)

この頃にDPの座学にハマリ、要領を少しずつ掴んでいった感じです。

詳細な時期はあまり覚えてはいないのですが、確かクエルイージーかノマゲした後くらいに初めて紙で作ったコントローラー(紙コン)を自作して、それを使ってtextageをマウススクロールしたのを見ながら餡蜜を練習する座学プロセスを構築していったような気がします。

 

今も苦手ではありますが、当時は本当に覚えるのが全然できなくて、覚えなくてもひたすら練習すれば餡蜜できるようになる気楽にできる座学を自分なりに考えて取り組んでました。

 

その座学効果は思った以上に大きく、地力が大して成長してない一方でランプは面白いように埋まっていき、クエルノマゲの次は2月にネメシスハード、3月にアルマゲハードしてました。

これらのランプも当時はかなり少なかったので自分の中で大きな自信になり、スコアも地力も上手い人になるのは厳しくても座学を極めればクリア上手い人になれる!という確信を持てるようになりました。

 

アルマゲの次は冥を取り組み、こちらもしっかり練習をしたら3月中にハードできたので、クエルネメアルマゲと同様に学校の友人に動画撮影を頼んで3月30日に約束をしたので、その日に向けて更に練習をしてました。

 

冥は何故かこの頃から得意で練習の時もハード再現は問題なかったけど、ある日突然bp19とか出てしまいました。何が起こったかよく分からなかったのとEXHは流石に今の自分には無理だと思ってたので単なるマグレだと思っててあまり気にしないことにしてました。

 

撮影当日。

少しでも早く動画を撮りたいと思ったのか、1クレ目からフリープレイで冥の本番撮影開始。

1回目は緊張してハード落ち。2回目はハード再現できたけど補正入り。

納得いなかいので2クレ目。

3回目は中盤が謎繋がりしてbpもまさかの更新。

この時点で動画としては満足な出来だが、この頃から自分はネタ特攻による笑いを取りたがる性格だったので、おふざけでEXH点けてチャレンジ。

正直できるとは思ってなく、また上手くなってからじっくりトライしようと思ってたのですが・・・

 

マジでできた

 

中盤がよく分からなくてそれっぽく餡蜜してあがいてたら何故かウイニングランのピアノの音が聞こえてきて、はぁ?!って感じの声が出てました。

そのあたりで動画撮ってくれた友人が後ろから「落ち着け!」って声をかけてくれたのを今でも覚えてる笑

 

これは自分の中で想定外の嬉しい大収穫なので満足した1日だったのですが、

想定外なことは同日の深夜に起こります。

 

帰宅して疲れて寝て、深夜0時過ぎたくらいに目が覚めて「そろそろ投稿してくれてるかなぁ~」と思って携帯とパソコンを開くと、

身内からのメールで「おいおいツイッターが荒れてるぞww」って来たので何だ何だと思いながらニコニコ動画を見に行ったらなんと宣伝されていてコメント数がこれまでと比にならないくらい書かれてたのです。

www.nicovideo.jp

 

ツイッターがよく分からないので友人にどんな感じかを聞いたところ、有名音ゲープレイヤー含めてかなり話題になっていたそうで、「おれもしかして相当凄いことしちゃったのか・・?」って感じで驚きを隠せなかったです。

 

確かに自分の中では想定外に上手くいった成果でしたが、SNS未経験だったのでここまで話題になるものなのかと素で驚きましたし、ある種の貴重な体験でした。

 

今でいうとバズった状態と言えますけど、当時はガチでびびって嬉しさと同時にインターネットすげぇ・・・とかいうメカ音痴な感想でした笑

 

これを機に音ゲー界隈についても知りたいと思い、人生初のSNSとしてツイッターを始めた時期でもあります。

(登録はもっと前に何故かしてましたが、書き込みを始めたのはこの頃です)

 

④冥DPA EXH~DP全EXH(2012年4月頃~2012年10月頃)

ツイッターを始めたら一気に世界が広がり、ニコニコ動画でしか上手い人のプレイを知らなかった自分にとっては本当に新鮮でした。

動画をよく見てたプレイヤーと繋がりを持てて、ちょっと芸能人と握手できた時と似た嬉しさがありました笑

 

ツイッター始めてから更にモチベーションが上がり、沢山練習してDP全白達成したり、友達の家環境を借りて黒麺ハード達成したりしてました。

 

しかし、同時に自分の地力のヘッポコさを痛感してしまい、DBRにおいては周りの上手い人のリザルトを見て明らかな差を感じてました。

 

地力を上げないとDP全EXH狙いもしんどくなるし純粋にDBRも上手くなりたい、そんな思いが強くなったので、4月下旬~6月あたりはずーっとDBRばっかりやってたと思います。

具体的にはオリコで☆10をアルファベット順にDBRでプレイして、曲ごとにbpを記録して2周目にその更新を目指すといった流れです。

今はもっとですが、当時もそれなりに曲数あったので中々のボリューミーな練習でした。

 

その後もひたすら地力上げしながらEXHランプ埋めの繰り返しになりますが、

座学も冥と同じ要領で地道に進めていき、7~9月でアルマゲクエルネメのEXHを達成しました。

達成時の驚き具合は冥程ではないにしても、こられの座学もその譜面特有の難しさがあり中々の一苦労でした。冥が得意なのもあってかクエルは冥以上の難易度に感じましたし、ネメは譜面が特殊すぎて一人目補正の緊張感が強く、当時は最難関と思ってました。

 

他にもチアトレDXY!の無理皿だったり灼熱の連皿だったりで、鍵盤餡蜜以外の座学についてもちょくちょく学んでいき順調に未EXHを減らしていきました。

DBRも☆10なら7~8割くらいはゲームになる地力はついてたのかな多分。。

 

テレポ卑弥呼PPあたりの準最強群はガチ押しプチ対策で倒し、クエは苦手なので餡蜜頑張って練習して、

 

2013年10月についにDP全EXH達成!

ガラケー撮影なので画質良くないです笑)

達成したのはtricoroですが、その前のLINCLE作品は2800クレ近く費やしたので最もやり込んだ作品と言えます。

練習内容もほぼ全て全EXHするための練習だったので非常に密度の濃い期間だったと思います。

 

⑤DP全EXH~座学に本格的に目覚める(2012年10月頃~2013年4月頃)

全EXH達成は勿論嬉しかったのですが、既に難曲を倒していたためか、作業ゲーがようやく終わった的な解放感の方が強く、まだまだ余力を感じていたのでもっとクリアを極めることができないか、難しい譜面に取り組めないかを考えていた時期でもありました。

 

そこで手を付けたのがフルコン狙いです。

カゴノトリが人生初の単独フルコンで、そこからゴビヨ、クエーサーと順調に埋まり、他の誰もやってないだけ系の小さな単独も消化しつつ3月にはチアトレとかもフルコンに成功しました。

 

フルコンの為の特別な取り組みは特にしていなく、クリア狙いで行った対策を更に慎重に行って実際繋がるまで何回もトライするという繰り返しでした。

 

達成感はあるにはあったのですが、自分がやりたいゲームとは何か違うというか、これを続けても根本的なクリア力は大して上がらないし、緊張する割には得られるものが少ないというか、コレジャナイ感が多々ありました。

 

また、2月頃に渚の小悪魔が移植されたのですが、DPAがかなりの難関だったのでEXHするのにこれまた一苦労したことから、今後どんどん難易度がインフレしても余裕持ってクリアできるようもっと上手くなりたい気持ちが尚更強くなり、今やってるフルコン狙いじゃ上限値は中々上がらないなという不安が大きかったです。

 

そこで3月頃に目を付けたのが 3y3s DBMです。

これが自分史上、座学に本格的に目覚めるきっかけとなる最初の取り組みにあたります。

 

この譜面自体は実は2012年の頃におふざけで挑戦した時があってその頃はまるで話にならなかったです。

座学慣れしてきた今ならある程度できるようになるのではと思い、開幕の繰り返し発狂部分を丸暗記してひたすら反復練習を本格的に開始しました。

 

この時思いついた画期的な発想が6鍵を小指で取る小6運指。

手首を少し内側に傾けるだけで安定しやすい合理的な手法ですが、当時は中6も小5もよく理解していなくまともに使いこなせてなかったので、座学前提とはいえかなり挑戦的な取り組みでした。

 

押しにくい同時押し、慣れてない運指、規格外な密度、覚えても追いつくのが大変なbpm、とこれまで培ってきた技術がまるで通用しなくいくつもの壁を感じました。

 

しかし、ここで心が折れずに楽しいと感じていたのが自分の数少ない強みだったのかもしれません。

 

これまでの技術が通用しないということは全く新しいゲームをやるようなもん、つまり得られる経験値は莫大なもので、これを繰り返していけば無限にクリアを極められることになる、そう思い始めました。

 

より難しく、より新しく、よりやり甲斐のある譜面に全力で挑戦することに渇望していたので、内心無理かもしれない不安はあったものの、その不安を遥かに上回るモチベーションが湧いてました。

 

座学をしていた期間は3月の運転免許合宿で2週間程山形に滞在していた時、講習以外は手をシャドウイングする要領で覚えた開幕発狂をひたすら繰り返しイメトレ。

実質1小節分を7小節繰り返すだけの作業だけど、あまりにも密度が高いのでこれまた大変。

 

合宿中、休日の日で時間ができた時に一緒に泊まってた友人に「少し所用あるから数時間抜けるわ~」と言って一人颯爽と近くのゲーセンに向かう。

人口密度の少ない地域なのでゲーセンも全然人がいなく連コし放題でしたが、自分がやったのは勿論3y3s DBMの開幕の実験。

 

Pフリー対応してなかったので通常フリーで永遠と開幕だけやる奇行をずっと繰り返してた。

開幕落ちは選曲時間含めても約30秒、通常フリーなので1分。

120円が1分で溶けるゲーム。

1時間遊べば大粒さくらんぼ山形産佐藤錦1L分くらいの値段になりそう。旅行しろ。

 

そんなこんなでずーっと粘着してたら突然奇跡が起きた。

 

開幕HARD抜けちゃったよ・・・

 

これゲーセン内に誰1人いなかったけど、自分の中でとんでもない事件が起きた感触。

脳汁ドバドバ、唖然としてた。

だってそもそも片手界でもHARD達成者いなかったし、できるはずもないと思ってたからそりゃ急にHARDゲージで耐えたらビビる。

 

開幕しか覚えてなかったので当然その直後でゲージが本日のお財布のキャッシュフローを表すかのような溶け方をして一瞬で閉店しましたが、これで理論上できることが証明されてしまったわけです。

 

というわけで運転免許合宿から帰ったら速攻でめちゃくちゃ練習して、2013年4月9日に無事ハードクリア達成。

(余談ですが人類初冥SPAフルコンと同日だったりする)

 

いやーまじでテンション上がってたこれは。

ここから自分の音ゲー人生が本格的に壊れていくわけです。

 

この後、ゴビヨとか冥とか取り組んでどんどん難易度感覚がバグっていくわけですが、もうこの時点で後戻り不可能です。

DP全EXH達成した時はまだギリギリまともな路線のプレイヤーに戻れた感じはしたので、3y3s DBMは自分史の中で完全に分岐点だと思います。

 

⑥まとめ

ビートマニアって凄いゲームですね。弐寺最高!

書いてたら腹減ったんで読んでいただいた方は

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ではまた👋